活動報告

【女性委員会】
テーマ:歴史散歩(中央区)~千葉氏ゆかりの史跡を訪ねて~

2012年1月28日 “郷土史先生”の岩月忠男先生に同行して頂いて、講座散策しました。
コースは、千葉寺→青葉の森公園(荒久古墳)→亥鼻山(七天王塚・お茶の水・丹後の堰)と千葉城→千葉神社です。

●千葉寺

千葉市最古のお寺。奈良時代以前に豪族の氏寺として創立されたのではないかと推定。平安中期以降は千葉氏の尊崇を受けて栄える

◇樹齢千年以上の大銀杏。空襲によって上半分が真っ黒に焼失したのに生き返ったそうです!

●荒久古墳(青葉の森公園)

古墳時代終わりの方墳で、千葉寺を創建した豪族のものとも言われる。
一辺20m程あった。

◇ただの土手ではなく、これが古墳です。

◇公園内に昔の街道がそのまま通っていることをご存知でしたか?

●亥鼻山:七天王塚

塚は墓をつかさどり、複数の塚は非業の死を遂げた者達の墓とする。千葉大学旧付属病院裏側に5基、道路反対側(郷土館側)に2基、北斗七星の形で配置されている。平将門と6人の影武者、または7人の協力者の墓などの説

●亥鼻山:千葉城

12世紀前半に千葉常重が築いた、あるいは15世紀後半に千葉氏を滅ぼした原胤房が築いたなどと言われる。

◇郷土館のような天守閣のある城ではなく、館と物見櫓を土塁で囲んだ砦(とりで)のような平山城であった。

●亥鼻山:お茶の水

千葉市三大伝説の1つ。

●亥鼻山:丹後の堰

千葉寺寒川方面の水田は砂質土壌で水がたまりにくく稲作が難しかった。寒川村の豪農、布施丹後守常長が17世紀に私財を投じて星久喜・矢作の境辺に堰を造り、亥鼻山を迂回して今井町に至る5.5kmの水路を造った。延7千人を動員し約4ヶ月かかって完成。千葉寺には五輪塔群の布施家の墓地があり、中央に丹後自身が経過を記録した「新滝記念塔」もある。

◇この歩道が水路でした。岩月先生を紹介して下さった明智名誉会長の幼少期にはまだ水路があったそうです。

●千葉神社

元は天台宗あるいは真言宗の寺院。守護神で農耕神または戦勝神の「妙見」が祭られる。明治になって神仏分離令が出され神社を選択、千葉神社となった。

歴史っておもしろいものだなぁ…みんなで歩くのも楽しいものだなぁ…と思いました。
明智名誉会長が「先生の文章が本当に優しくて感動した」と仰っていましたが、温かく、快活で、少年のような目をした先生の話は、楽しく興味深かったです。
参加した私の父(静岡出身)の感想です:1961年4月上旬に初めて当時の千葉駅(今の東千葉駅)に降りたことが思い出されました。
身延線の富士宮駅より来て、落ち寂びれた木造駅舎を呆然と眺めていた憶えがあります。
もっと都かと期待していたんでしょうね。
畜産試験場の大きな草原が〝青葉の森″に変身している様には驚きました。
千葉には、千葉の深さ・生活・文化があったんだなと感じる一日でした。
また訪ねたいです。
冬の寒い1日、参加して下さったみなさん、ありがとうございました。